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会長兼社長講義 バックナンバー【2016年7月21日】

当社では、毎月勉強会を行なっており、毎回1つのテーマに沿って会長が講義を行います。
ここでは、その講義内容をご紹介し、当社がどういう会社か少しでも知っていただければ幸いです。

平成28年7月21日

人生を深く生きるか、浅く生きるかで生涯が決まる
 人はそれぞれの生き方の中に人生があります。私は50年前の人生で大きな躓きをして地獄に落ちました。85年の人生を振り返って思うに、人生の生き方でその人の生涯が左右され、生きてきた道にそれぞれの結果が残されるということです。

 人生は、二度なしです。折角戴いたこの命です、真理は現実の中にありです。この現実をどう生き抜くかが、私たちの生きる為の課題です。ここからは、森信三先生の言葉を借りてお話を進めます。{森先生、1896年ー1992年、哲学者、教育者} 

 人生を深く生きるということは、自分の悩みや苦しみの意味を深くかみしめることによって、かような苦しみは、必ずしも自分一人だけのものではなくて、多くの人々が、等しく悩み苦しみつつあるのだ、と言うことがわかるようになることではないかと思うのです。

 これに反して、人生を浅く生きるとは、自分の苦しみや悩みを、唯自分一人だけが悩んでいるもののように考えて、これを非常に仰山なことのように思い、そこからして、遂には人を憎んだり怨んだりして、あげくの果てには、自暴自棄にも陥るわけです。これはちょうど、あの川の水が、浅瀬において泡立ち騒ぐにも似ているともいえましょう。

 広い世間には、自分と同じような苦しみに悩んでいる人が、いかに多いかということが次第に分かりだしてきて、さらに、それらの人々の悩みや苦しみに比べれば、自分の現在の苦しみごときは、それほど大したものでもなかったということが、わかりだしてくるものです。

 物事をとかく自己中心的に、ただ自分だけのことしか考えない生活だったのは、実は狭くて浅い生き方だと気付くということです。お目出度いと言えば、実にお目出度い生き方だったわけです。他人の気持ちがわからぬというのは、その人のお目出度さを語る何よりの証拠です。人生を深く生きるということは、かような意味のお目出度さから、脱却する道と言ってもいいでしょう。即ちそれは、常に人々の心持を考えて、人々に対する察しを忘れなぬということです。「人の気持ちが分からない生き方は」は、「お目出度い生き方」というのは、なんとも心に深く突き刺さる言葉だ。昨今の世間を騒がせる事件は、この「自己中心的」であることにつきるような気がする。自分さえよければいい。自分が世界で一番不幸だ。自分が死にたかったら、人を巻き添えにした。自分だけが、悲劇の主人公ではない。今この現在、地球上に住む68億の人口の中で、自分と同じ悩みや、苦しみを抱える人は、何万といる。歴史を紐解けば、それは何億と増え、それよりもっとひどい状態だった人は、その何倍もいるだろう。人生の勉強とは、多分そういう真実を知ることだと思う。つまり、深く生きる人は、「利他の心」で生き、浅く生きる人は「自己中心的な心」で生きているともいえる。常に、人の痛みや、苦しみを察する気持ちを忘れずに、「お目出度い」といわれる生き方だけは、しないようにしたい。

 以上は、「人の心に灯をともす」というブログのなかで森先生の教えを書いたものです。非常に簡潔で分かりやすいお話です。私は改めてこの教えをかみしめながらわが人生に悔いなしを目指して、生き抜く覚悟です。

 ここで改めて私の「人生を深く生きる」についてお話をします。私は、過去から現在まで多くの失敗と人様にご迷惑を掛けて生きてきました。これを深く反省し何が間違っていたかを常に正しながらベストを尽くして改善することに努力しています。また、「人の振り見て我がふり直せ」をモットーとして生きるよう努めています。次に「人生を浅く生きる」部分も多くあります。短絡的思考がそれであります、浅はかな考え、安直な考え、表面的な考え等があり、自己中心的なものの考え方をする習性をもっています。これらを正さなければ、深く生きる人生にはなりません。皆さんも、「人生を深く生きるか」「浅く生きるか」を懸命に学び励んで、共に人生を良く生きる為に頑張りましょう。

人生「はひふへほ」の詩

曲則全 曲がりくねっても人生全う

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